忘れられる権利を否定した東京高裁平成28年7月12日決定

2016.07.15

忘れられる権利を否定した,と報道されている東京高裁決定ですが,そのほかにも注目すべきポイントがいくつかありますので,私見の紹介をかねて指摘します。

1 忘れられる権利の否定

 東京高裁は「「忘れられる権利」は,そもそも我が国において法律上の明文の根拠がなく,その要件及び効果が明らかではない。」「その要件及び効果について,現代的な状況も踏まえた検討が必要になるとしても,その実態は,人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権と異ならないというべきである」と判断し,「「忘れられる権利」を一内容とする人格権に基づく妨害排除請求権としての差止請求権の存否について独立して判断する必要はない」としています。
 しかし,名誉権もプライバシー権も法律上の明文の根拠がない点では同じですから,明文の根拠がないことは,この概念を否定する理由とはなり得ません。明文のないところで,いろいろな権利を認めてきたのが裁判所です。そうすると本件決定は,「明文の根拠」に重きがあるのではなく,最後に示されている「独立して判断する必要」の有無にポイントがあるものと考えられます。
 名誉やプライバシーとは別に,忘れられる権利を独立して判断することが有用,と考えているものの1つに,AV女優事案があります。
 過去に自らの意思でプライバシーを放棄していた以上,長期間経過後にAV女優歴をネットから消したいと願っても,「プライバシー放棄」をどう扱うかという点で,若干,難しい側面があります。もしプライバシー放棄が真の意味の「放棄」なら,二度とプライバシー権は行使できないことになってしまいます。この問題については,プライバシー放棄は真の意味の「放棄」ではなく被害者の同意だと捉え,同意の範囲を限定することにより,長期間経過後にプライバシー権を再行使する,という手法が考えられます。また,同意の撤回という構成も考えられます。ただ,ストレートではありません。
 さらに,犯罪「被害者」の情報についても,プライバシーでは削除請求しにくいケースがあります。連日のように何らかの犯罪報道があり,加害者と被害者の個人情報が報道されていますが,被害者としては,すぐにでも自分の個人情報をネットから削除したいと願うことでしょう。これをプライバシー構成で検討すると,「非公知」要件がネックとなります。報道直後には,非公知とは言いにくい可能性があるからです。この場合にも「忘れられる権利」を独立して判断することが有用です。
 本件高裁決定は,「忘れられる権利」を否定したと報道されていますが,表現ぶりからすると,適用の余地を残している,と読むことも可能です。今後,それにふさわしい事案が出てきた際,裁判所で何らかの判断が下されることでしょう。

2 「媒介者」論の否定

 グーグルは従前,自らは表現者ではなく,他人の表現を媒介している「媒介者」に過ぎないと主張し,検索結果の削除義務を否定する根拠として主張してきました。本件決定では「抗告人は,本件検索結果は自動的かつ機械的に生成されるものであり,抗告人は原則として編集していないから,情報伝達の媒介者にすぎず,名誉権侵害の責任を負うものではない旨主張する」とまとめられています。
 これについて高裁は,「本件検索結果が自動的かつ機械的に生成されるものであるとしても,それは抗告人が決めたアルゴリズムを備えたプログラムによるものであり,また,抗告人は,その提供する検索サービスの魅力(一覧性,信頼性,検索語との関連性等)を高めるため,検索語に関連する部分を正確かつ端的に抜き出してタイトル及びスニペットを生成するようプログラムを作成し作動させていると認められる。すなわち,抗告人は,例えば人の氏名により検索した場合には,その者に関する情報であればそれがその者に有利であろうと不利であろうと正確かつ端的に抜き出し表示されることを当然に認識していることは明らかである。また,抗告人が,その提供する検索サービスにおいてタイトル及びスニペットを表示することについて,リンク先のウェブページを参照するか否かの利用者の判断に資する意味もあると認められる。そうすると,実際の利用態様からは,タイトル及びスニペットが独立した表現として機能することが通常であるということができる。」と理由を説明したうえで,結論として「以上からは,抗告人は単なる媒介者で,名誉権侵害の責任を負うものではないという抗告人の主張を採用することはできない」としています。
 つまり,グーグルの主張の大きな柱の1つ「媒介者」論は,東京高裁により否定されたのです。理由を端的に示すと,「タイトル,スニペットはグーグルの表現だから」ということになると考えられます。

3 「明らか」基準の不採用

 グーグルは,検索結果の削除義務が認められるのは,「当該検索結果に表示されたリンク先のウェブページが専ら他人に対する誹謗中傷を内容とするものであるなど明らかに社会的相当性を逸脱したものであることがウェブページそれ自体から明らか」(東京高裁平成27年7月7日決定)な場合に限定される,と主張していました。
 簡単にまとめると,リンク先のウェブページが「明らか」に違法であることが,ウェブページそれ自体から「明らか」な場合でなければ検索結果の削除義務を負わない,とするものです。
 しかし,少し考えれば分かることですが,そのようなウェブページは存在しません。リベンジポルノのように見えるウェブページでも,被写体の同意により公開されている写真かもしれません。会社に対する中傷記事のように見えても,実は真実の内部告発かもしれません。ですから,個人の主観的権利を主張する場合に,「明らか」に違法であることがウェブページ自体から「明らか」なケースというのは,ほぼ想定できないのです。
 今回の東京高裁決定(28年7月12日)は,最判昭和61年6月11日や最判平成14年9月24日,最判平成6年2月8日を引用して人格権侵害差止請求の要件を検討しており,27年7月7日決定のような「明らか」基準を採用していません。
 この判断は,ネットの検索結果に苦しむ人には有利に作用すると考えられます。

4 補充性要件の不採用

 グーグルは従前,検索結果のリンク先サイトに削除請求すれば人権保障としては十分であり,検索結果を削除請求するのは,何らかの理由でリンク先サイトに削除請求できない場合などに限定される,という主張をしていました。補充性の原則と言われるものです。
 しかし今回の東京高裁決定では,補充性の原則については何ら触れられていません。上記のとおり,タイトル,スニペットはグーグルの表現だという点を重視すると,表現行為者はグーグル自身であるという理解になりますから,補充性自体が問題にならなかったためと考えられます。
 これも,ネットの検索結果に苦しむ人には有利に作用する判断内容です。

5 掲示板へのリンクを削除することに対する躊躇

 以上に対し,グーグル側に有利に作用している判断もあります。その1つとして,掲示板へのリンクを削除することについての,高裁の問題意識が挙げられます。
 いわく,「いわゆる電子掲示板であると認められることから,本件犯行とは関係のない事実の摘示ないし意見が多数記載されているものと推認される。そうすると,元サイトの管理者に対して個別の書き込みの削除を求めるのではなく,本件検索結果に係るリンク先のウェブページを検索結果から削除し,又は非表示の措置をすることは,検索サービス事業において抗告人が大きなシェアを有していることや,インターネット上のサイトのURLを直接発見することが極めて困難であることに照らせば,それらに対する公衆のアクセスを事実上不可能にするものと評価することができ,看過できない多数の者の表現の自由及び知る権利を侵害する結果を生じさせるものと認められる」と書かれています。
 要するに,掲示板に1つ2つ違法な記事があるからといってリンクを削除してしまうと,そのほかの適法な記事もすべて読めなくなるから問題だ,という趣旨だと思われます。
 しかし,この問題については,すでに立法的解決が図られています。
 著作権に関する条文ではありますが,著作権法47条の6但書は,著作権侵害のウェブページは検索結果に表示してはならないと規定しています。
 たとえば掲示板に1つ2つ著作権侵害の記事があったとしたら,リンクを削除し,検索結果に表示されないようにせねばならないのです。著作権侵害のない,そのほかの記事は当然に読めなくなります。著作権法は,検索結果に表示することだけでなく,キャッシュサーバーにキャッシュを保存することまで禁止していますので,「それらに対する公衆のアクセスを事実上不可能にするものと評価することができ」という部分は同じように当てはまります。
 このように,著作権の場合には,上記高裁が懸念する事態は,法律が許容しており,立法的解決が図られています。
 では,人格権侵害の場合はどうでしょう。
 北方ジャーナル事件判決(最判昭和61年6月11日)は,「人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。」としています。
 この判決は,「民法上の物権(財産権)でさえ妨害排除請求権が認められているのだから,物権と同様に排他性のある人格権に妨害排除請求権が認められることは当然だ」という内容だと理解されています。
 そうだとすれば,著作権(財産権)でさえ検索結果の削除義務が認められているのだから,同様に排他性のある人格権に検索結果の削除義務が認められることは当然だ,という結論になるはずです。
 もちろん,1つ2つの著作権侵害により掲示板全体が読めなくなることは著作権法が許容していることから,同じく,1つ2つの人格権侵害により掲示板全体が読めなくなることは,北方ジャーナル事件判決からして許容されていると理解することになります。
 この点は,今後議論していく必要があるところです。