設問
問題の所在
慰謝料請求訴訟では、名誉権侵害の違法性阻却事由は抗弁に回る。これに対し、人格権侵害差止請求権(削除請求権)では、原告は社会的評価の低下だけでなく、違法性阻却事由の不存在まで主張立証せねばならない。少なくともコンテンツプロバイダに対する削除請求訴訟では。
では、投稿者に対し削除+慰謝料請求訴訟を提起するとき(削除請求と慰謝料請求を併合提起するとき)、違法性阻却事由の扱いはどうなるのか。たしかに違和感はあった。上記のように要件事実を捉えると、原告は、慰謝料請求訴訟だけなら主張立証する必要のない違法性阻却事由について、削除請求を追加したばかりに、その不存在まで主張立証せねばならないこととなってしまう。
このような結果を嫌って、あえて慰謝料請求訴訟だけで提訴し、削除請求については訴訟上の和解における条項(削除条項)を落とし所にする予定で訴訟を進めることもあった。
価値判断としては、投稿者に対する削除+慰謝料請求訴訟では、違法性阻却事由の存在は一括して抗弁に回したいところである。
人格権侵害差止請求権の要件事実
人格権侵害差止請求権の要件事実に、違法性阻却事由の不存在まで含まれるとの考え方は、北方ジャーナル事件大法廷判決(最大判昭和61年6月11日民集40巻4号872頁)に由来する。そこでは「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞がある」ことが名誉権侵害差止請求権の要件事実とされており、請求者側で摘示事実の反真実性を主張立証せねばならない。この大法廷判決の解釈から、民事保全の実務(第三版増補版上348頁)でも「名誉毀損に係る表現の差止めを求める仮処分命令の申立てにあたっては、かかる違法性阻却事由の存在をうかがわせる事情がないことについての主張および疎明が必要となる」として、債権者側で違法性阻却事由の不存在を主張立証せねばならないと説明されている。
この2つについて「仮処分」だから請求者側で違法性阻却事由の不存在を主張立証せねばならないのだ、と指摘する人もいるが、手続の違いによって要件事実が変わることはない(手続法は実体法を変えない)ので、仮処分だからというのは理由にならない。仮処分決定に起訴命令が出ても、訴訟で主張することは同じだ。
民事保全の実務での解説にしたがい、私も10数年来、削除請求の要件事実には違法性阻却事由の不存在が必要であるとの立場を取ってきたし、各地の講義でもそのように説明してきた。この業務を始めたころ(平成20年ころ)に刷り込まれた知識のため、疑うこともなかった。投稿者に対し削除請求することがほとんどなかったことも理由なのだろう。
投稿者に対する削除請求
しかし、近時この結論とは違う立場から反論を受けるようになった。いわく、たしかにコンテンツプロバイダに対する削除請求では、違法性阻却事由の不存在が要件事実となるが、投稿者に対する削除請求では、慰謝料請求と同じく違法性阻却事由の存在が抗弁に回るどの見解である。東京高裁でもそのような趣旨の判決を受けた(東京高判令和5年3月22日)。現在、投稿者に対する削除請求の要件事実に関し、上告受理申立中である。
この論点について事務所の櫻町弁護士と話したところ、有識者検討会の「取りまとめ」に、投稿者に対する削除請求では、違法性阻却事由の存在が抗弁に回るとの解説があるとの情報を得た。確認したところ確かにそのように記載されている。もっとも理由は書かれていない。
「インターネット上の投稿の削除を求める場合、その相手方が投稿者であるときは、投稿者において、違法性阻却事由が存在することを立証すべきであると考えられる」
インターネット上の誹謗中傷をめぐる法的問題に関する有識者検討会 取りまとめ P13
要件事実は矛盾なく説明できるか
ただそうすると、誰に対する請求かで要件事実が変わることになってしまう。コンテンツプロバイダに対する削除請求権と投稿者に対する削除請求権は、どちらも人格権侵害差止請求権であって、要件事実は異ならないはずである。この問題を法的にどう解決するかが課題になると思われた。
以前から人格権侵害差止請求権を論じるとき、私は最判平成7年7月7日の調査官解説(最高裁判例解説民事編平成7年度732頁参照)における「総合衡量的受忍限度判断」の考え方から始めている。たとえば、Googleに対する検索結果削除請求(最三小決平成29年1月31日民集71巻1号63頁)やTwitterに対する削除請求(最二小判令和4年6月24日民集76巻5号1170頁)では、プライバシー侵害差止請求権に関し、諸般の事情を総合衡量したうえで削除請求が認められるかどうかが判断されている。
もっとも名誉権侵害差止請求権ではこのような総合衡量の考え方は「明示的には」取られていない。伝統的には、社会的評価の低下を請求者が主張したあと、これとは別立ての項目として、公共の利害、公益目的、摘示事実の真実性(反真実性)が主張立証される。このように判断枠組みがプライバシー侵害と名誉権侵害とで違うのは、刑法の名誉毀損罪の判例を前提とするからだと言われている。
しかし本来、名誉権侵害止請求権も人格権侵害差止請求権の一類型であって、統一的な考え方をすべきものである。この思想からだろうか、検索結果削除請求においても、要件事実として「回復困難な損害」等を総合衡量する東京高裁判例も存在する。
請求相手は考慮要素の1つとする
ここまでの情報を矛盾なくまとめるなら、コンテンツプロバイダが請求相手なのか投稿者が請求相手なのかは、総合衡量の一要素にすぎないと考えることはできないか、との結論に到達する。
すなわち、人格権侵害差止請求権の要件事実を「違法な人格権侵害」とし(この考え方は比較的メジャーだと思っている)、名誉権侵害差止請求の判断に際しては、(1)社会的評価の低下、(2)違法性阻却事由に加え、(3)請求相手、を総合考慮の一要素とする。さらに、(4)事前抑制か事後的な差止か、も考慮要素とする。これがないと大法廷判決が取り込めないためだ。従前の各種判例の解説にあるように、各事情は例示であって、これ以外の事情を考慮することもできるし、ここに列挙した事情を考慮しないこともできる。大法廷判決や上記高裁判例のように「損害」を考慮要素としてもよいのだろうが、名誉権侵害の場合、「社会的評価の低下」が損害であり、ここに読み込むこともできるだろう。
このように「請求相手」を考慮要素として取り込むことで、コンテンツプロバイダに対する削除請求では請求者側で違法性阻却事由の不存在まで主張立証しなければ「違法な人格権侵害」が証明度に達しないのに対し、投稿者に対する削除請求では、違法性阻却事由の主張立証が弱くとも(極論、なくても)、「違法な人格権侵害」が証明度に達するとの扱いが可能となる。
この結論に到達して一人納得していたが、ふと民事保全の実務(第三版増補版上347頁)を見ると「この違法性の判断においてはいわゆる『受忍限度論』が用いられており、かかる受忍限度は相対立する利益を衡量して総合判断されるべきものである。このようにみると、北方ジャーナル事件判決は、前記(a)(b)の事情がある場合の受忍限度について判示したものと解することにより、 差止請求権の成立要件を統一的に理解することができる。」との説明があることに気付く。つまり、北方ジャーナル事件判決における公益目的、真実性は、総合衡量の判断要素を示したもの、との解釈である。
なんと私の検討の到達点(名誉権侵害の違法性阻却事由を名誉権侵害差止請求において総合衡量の要素とする扱い)は、すでに民事保全の実務で説明されていた。ずいぶん前から書いてあったのに、気づいていないだけだったとは。
結論
いやいや待て。「投稿者に対する削除請求」の視点を加えて検討したのは目新しいはずだ。きっとそうだ。ということで結論を書いておこう。
この考え方を前提として、「削除請求+慰謝料請求訴訟」のテンプレおよび、「削除仮処分(投稿者用)」のテンプレを追加した。
補)削除請求の補充性との関係
ここまで書いて、「削除請求の補充性」の論点もそうなのか?と思い至った。
削除請求の補充性とは、投稿者本人に対する削除請求が有効と考えられるうちは、コンテンツプロバイダに対する削除請求はできないとする考え方のこと。請求者側からすれば、そんな馬鹿な、と思う理論だが、東京地裁9部では主流であり、同旨の東京高裁決定まである。聞くところによると少なくとも2つ。
その理由について、「投稿者本人への削除請求ができるうちは『保全の必要』がない」とする見解もあるようだが、ならば本案訴訟では削除請求できることになってしまうため、保全の必要性を「削除請求の補充性」とつなげることはできないだろう。そこで、補充性肯定説は、別の何らかの理由により「被保全権利がない」と言う必要が生じる。
上記のように人格権侵害差止請求権の要件事実を「違法な権利侵害」と捉え、諸般の事情(とりわけ、請求相手)を総合衡量するとの前提に立つのであれば、「投稿者に削除請求したか」も総合衡量のうえ、投稿者に請求していないうちは、コンテンツプロバイダに対する削除請求は受忍限度内(我慢せよ)との結論を導くこともできるのではなかろうか。
請求者側としては歓迎できない考え方だが、理論的にはおかしくないのかもしれない。
- 2023/08/01 作成、追記
- 2023/08/02 編集
- 2023/08/10 追記
- 2023/08/13 編集
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